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Computer

僕とコンピューターとの出会いから現在に至るまでの略歴です。

- 最終更新日 2007/12/15 -

僕とパソコンとの出会い

僕がコンピューターに初めて触れたのは小学校を卒業して、中学と高校に進むため実家を離れて柏崎の国立療養所新潟病院(現在の独立行政法人 国立病院機構 新潟病院)の13病棟に入所してからの事でした。当時はパソコンというかマイコンとも呼ばれていましたが、病棟の一室にテーブルがありその上に置いてありました。それは NEC PC-6001 というマシンでした。まだ今の様にパソコンが一般的ではない時代でしたが、そのマシンは当時のリハビリの先生が個人で購入したモノを、音楽やコンピューター好きな患者さんに好意で貸して下さっていたモノでした。その患者さんがキーを打ちながら作曲していた事を懐かしく思い出します。その頃のコンピューター事情を僕はよく分からないのですが、この NEC PC-6001 というマシンは当時としては音源的なスペックが高かった様です。

そんな事で僕も時々使わせて頂いたりしていました。とはいうもののクリエイティブに使える様なスキルを持ち合わせている訳もなく、もっぱらゲームばかりしていました。その頃、BASIC というプログラム言語やマシン語といわれるモノで書かれたプログラムがコンピューター雑誌とかに出ていて、意味も分からずポチポチとキーを打ってはプログラム全てを打ち終わってからの遊ぶ時間を夢見て入力した思い出もあります。その後、いざ実行するとシンタックス・エラーが出て上手く動かない事も多く凹む事もしばしば。その後、雑誌のプログラムコードと画面を見比べてヘトヘトになりました。その頃はフロッピーやハードディスクに保存するのではなく、カセットテープに「ピーーッ、ガッカーー」って音を出してのロードやセーブでした。今となると笑ってしまいますね。

この頃の経験が現在パソコンを使うのに役に立っているかと言えば NO ですが、今のパソコンとは違って本当の意味で機械に命令を出して動かしているという仕組みが垣間見えてスキルさえあれば楽しいのだろうと思いますね。今では普通にパソコンを使っている分にはブラックボックス化されて見えない部分がほとんどですから。現在でも本当にホビーとしてパソコンを楽しむにはプログラムを自分で組み動かすのが一番なんでしょうけど、誰でもが出来る事ではないですよね。実際、僕も一度は夢見ましたが挫折しました。その後、僕は高校を卒業して病院を退所し自宅に戻りました。丁度その頃、世の中はワープロが全盛の時代で「NEC 文豪」や「シャープの書院」、「東芝のルポ」などが店頭に競って展示してありました。卒業した高校にはワープロがあり国語の時間に少しいじった事がありました。

使ってみるとワープロは便利だし、その頃はまだ自分でペンを持って字も書けたのですが近い将来それが困難になった時に備え、ワープロを使える様になろうという考えもあり在宅になった事を期に「パナソニックの U1-PRO」を購入しました。このワープロで本格的に文字変換などの操作やデーターの読み出し、保存などの作法を覚えた気がします。キーボードアレルギーも取れましたね。事あるごとに良く使いましたけど液晶画面は大きいモノでしたが何分モノクロ液晶でしたので、カラー画面の新鋭ワープロが出るたびに羨ましく思っていました。振り返ってみるとこの U1-PRO は約7年間使いました。老朽化に伴いついに買い換えようかと考えていた時、新鋭ワープロを買うべきかそれとも思い切ってパソコンにするべきか迷う事になりました。

実際には買い換えを唐突に思いついた訳ではないのでパソコンの事を知るために PC fan という雑誌を読んでいました。それと平行して最新機種のワープロのカタログを集めたりして検討していました。その結果もうワープロの時代ではないなぁーと思いましたし、パソコンを使える様になればワープロソフトの他の事にも夢が広がる気がして迷いは吹っ切れパソコン購入を決意しました。いざパソコン購入といっても当時はそれぞれ互換性のない規格のマシンが乱立していました。日本だけを考えれば NEC PC-98 シリーズ全盛期、他には MAC や 世界標準をうたう DOS/V 機。その他にも少数派のマシンもありました。どの規格のモノを買うかで大分迷ったのですが雑誌などを良く読んでいると、NEC PC-98 シリーズが生き残っていくのは難しいと感じましたし、MAC は熱狂的なファンは居ますがやはり全体から見れば少数派です。

DOS/V 機は当時 IBM PC 互換機 (PC/AT 互換機) とも呼ばれていましたが、日本以外では標準規格でしたので大量生産のメリットもありパーツが安かったりソフトが豊富などのメリットがある一方で、規格はあるものの多種多様なメーカーの色々なパーツが組み合わされる事によるパーツ同士の相性問題という事もありました。その点では NEC PC-98 シリーズは専用にパーツを設計している訳で相性などで悩む事はないですがどうしてもパーツの価格は高くなりますし、NEC PC-98 シリーズでしか動かない資産を重要視しければ PC-98 シリーズである必要性は低くなりコスト競争で勝てる訳はありません。パソコンで色々なパーツやソフトを活用しようとする時には世界的シェアの大きい方がコスト的にも絶対に有利ですからね。当時は Windows 自体も DOS/V 機用と NEC PC-98 シリーズ用に分かれていた時代です。

結局、僕はその様な事を考えパーツの相性問題という冒険はありましたが DOS/V 機を買う事に決心したのです。この決断が後に購入する事になる FMV を DOS/V 機の強みを生かして拡張しながら約10年も使う分岐点となりました。その後、NEC PC-98 シリーズは方針転換し独自規格を薄めていき DOS/V 機規格に歩み寄っていきました。今では DOS/V 機なんて言葉を聞く事なんて滅多にないですね。MAC でさえ OS 以外のハード的な部分では違いが無くなって来ていますし、どのメーカー製パソコンもパーツ世代の違いぐらいで構成は似たり寄ったりで代わり映えがしません。言い換えれば個性が無くなって来ている様に思いますが、そのお陰で原因不明な悩ましいパーツの相性問題は少なくなってきています。

(2007/12/15)

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初めてのパソコン購入〜その後

DOS/V 機のパソコンと決めた後、ついに購入したのは1995年8月でした。機種は富士通の FMV-DESKPOWER H (575D4) というモノでまだ OS は Windows 3.1 の時代です。CPU Pentium 75MHz、RAM 8MB、HDD 540MB、Display 17 インチ というスペックでした。Windows 3.1 は MS-DOS の影響が色濃く、メモリ管理がシビアでメモリの空きを増やす為に CONFIG.SYS や AUTOEXEC.BAT を編集した記憶があります。その後、この FMV を元にして RAM の増設や HDD の増設や換装。マザーボードの交換や CPU 換装など各種拡張カードも含め自作機の様な拡張を何度もしました。この経験は非常に役立っていてハード的な知識が身に付く事でパソコンの構成が分かり、何かトラブルにあった時に少し強くなりした。FMV と同時に買ったプリンターはエプソンの MJ-800C というインクジェットプリンターでした。

この度重なる拡張と共に OS も Windows 3.1 から Windows 95、Windows 98、Windows 98SE、Windows Me と入れ替えてきました。OS のアップグレードは一大事業なのでその度に色々な問題にもぶち当たりましたがそれもまた良い経験でした。そんな中、とある通販サイトの懸賞で IBM ThinkPad i 1200 (1161-234) を21円で購入できる権利が当たり手に入れる事が来ました。CPU は モバイル Celeron 500MHz、RAM 64MB、HDD 6GB、13 インチ HPA 液晶 800×600 ドットというモノで OS は Windows 98SE でした。スペック的には低いのですが現在では RAM を増設し、HDD を換装して OS も Windows XP Home Edition を入れサブマシンとして頑張っています。メインマシンが不調の時にネットで情報収集する時など本当に重宝しています。FMV とクロス LAN ケーブルで接続しファイルやプリンタ共有などもしました。

FMV と同時に買った MJ-800C プリンターも約7年間使いましたがヘッドが摩耗して駄目になり、2002年11月にエプソンの PM-970C に買い換えました。2003年6月には家業の野菜販売ラベル作成用に顔料インク採用のエプソンの PX-V700 を購入。また、メインマシンとして使っていた FMV は交換したマザーボードの限界まで拡張してあり、これ以上のスペックアップは望めない状態でしたし、スペック不足で日常使っていてもストレスがたまる様な事が多くなりました。そんな事で新しく自作しようかとパーツを物色していたのですが、何時までも今と同じ様な状態でパソコンを使っていられるかも分かりません。色々な状況に対応できる様に持ち運びが楽なノートパソコンを中心にしたメインシステムを構築しようと決心し、色々なメーカー製ノートパソコンを比較した結果「清水の舞台から飛び降りる」的な結論を出す事になったのです。

自作機やデスクトップ機などと違い、ノートパソコンは基本的なパーツを購入後に換装などはまず無理です。出来たとしても RAM の増設や HDD の換装ぐらいです。ある程度長くストレス無く使うにはその時のハイスペックノートを買わないと直ぐに陳腐化してしまうと考えました。他の考え方としてはその時々のコストパフォーマンスの良いものを数年おきに買い換えていくというのもあると思います。しかし、僕の場合一つのモノを長く使いたい方だし、何より身体的な理由から一度慣れたモノを簡単に変えられない事情もあるのです。そして2004年11月、ニューマシンとして IBM ThinkPad T42p (2373-P1J) を購入しました。僕にとって IBM ThinkPad はずーっと前から特別な存在で憧れのノートでした。以前、幸運にも懸賞に当選しロースペッククラスの IBM ThinkPad i 1200 (1161-234) を手に入れ、それは確信に変わりました。

低価格帯のマシンでも ThinkPad はやっぱり質実剛健な ThinkPad でした。中越地震の時には約 1.5m の高さの棚から落ち、下に置いてあったプラスチック製のゴミ箱をかち割り、キズ一つ無く機械的にも無傷ですんだのには驚きました。偶然のたまものなのかもしませんが、あの地震時の落下を乗り越えて今も元気に動いています。ニューマシンの IBM ThinkPad T42p (2373-P1J) は CPU は Pentium M 765(2.1GHz)、RAM 1GB、HDD 60GB、 14.1V 型 TFT 液晶 1,400x1,050 ドットというモノで OS は Windows XP SP2 Professional でした。購入当時のハイスペックノートでした。しかし、そのままではノート本体に周辺機器やネットワーク系のモノまでケーブルが付く事になり気楽に移動出来ません。その為、ケーブル類の取り回しが楽になるポートリプリケーターの購入を考えました。

ThinkPad はポートリプリケーター的なモノが豊富ですが、より高機能の ThinkPad ドック III を T42p 本体と一緒に購入しました。このドック III にほとんど全ての周辺機器やネットワーク系のケーブルを接続しておく事が出来ますので T42p + ドック III というドッキング状態ではデスクトップ的に使えます。また、ドッキング解除も簡単でその時には T42p 単体で気楽にどこでも移動して使えます。また、この ドック III はセカンド HDD を内蔵出来たり PC カードスロットや PCI 拡張スロットがあるという超弩級の拡張性があり、大いに気に入ってしまいました。その後 PC カードスロットには ELSA EX-VISION mini DX を挿して TV/FM を見聞きしたり、外付けスピーカーとして BOSE Micro Music Monitor (M3) を接続して使用しています。現状では自分の考えていたトータルの PC システムとして、とても満足できるレベルに達しました。

話が前後しますが、僕が ThinkPad T42p を購入した数週間後に IBM の PC 部門が中国企業の Lenovo に売却されると発表されました。これは結構ショックでしたねぇ。ブランドやロゴはしばらく存続されるという事でしたが ThinkPad が名実共に ThinkPad でいられるかが心配です。サポート自体は以前と変わりなく今もメールサポートなどしっかりと続いている様な感じはします。Lenovo 売却以後の品質においてはネットの書き込みなどを見ると一様では無いので何とも言えませんが、ここ最近はマシン本体に Lenovo という文字が目立ってきたり、本体右下隅にある IBM の文字が ThinkPad に変わっているモノがモデルによって出てきています。また主に Lenovo 買収後のモデルではトラックポイントの下のボタンに赤いラインが無くなったり、ボタンデザインが変わっていて賛否両論ありますが個人的には残念に思いま す。

いってみれば、この T42p は純粋な IBM ThinkPad の最終世代という事になり思い入れがいっそう強いマシンとなりました。実際、もの凄く大事に使っています。憧れの IBM ThinkPad T シリーズを手に入れた途端に他社に売却されるとは皮肉でしたが、幸いな事に純粋な IBM ThinkPad の最終世代を滑り込みで入手できた事は良い巡り合わせでした。もしも将来、ノートパソコンを買い換える時に ThinkPad が変わりなく名実共に ThinkPad であったならば僕にとって購入第一候補になる事は間違いありません。また、そうであって欲しいと心から願っています。今後 Lenovo ブランドのノートパソコンと ThinkPad ブランドが共存していけるのかが凄く気になるところですね。とりあえず僕のマシンは純粋な IBM ThinkPad なんだと言い聞かせながら末永く愛用していこうと思っています。

(2007/12/15)

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インターネットとネットワーク

FMV を拡張している頃、インターネットプロバイダが市内局番に開業して早速1997年4月に契約をしました。当時はまだダイヤルアップ接続で 28,800bps という通信速度でしたが、この事でまた新たな世界が広がりました。同年12月には当サイトを公開しました。2003年12月にはついに常時接続のフレッツ ADSL サービス地域に入りましたので 8M タイプを契約しました。時間と料金を気にせず使えるこの時の感動は忘れられませんね。フレッツ ADSL に契約を期に無線 LAN ブロードバンドルーター NTT-ME MN8300W を導入しました。ThinkPad i 1200 には無線 LAN PC カードを接続し、ドッキング解除時には ThinkPad T42p も含め無線 LAN ネットワークを構築しています。また、NOVAC の NV-NAS390 という NAS (Network Attached Storage) を接続しファイル共有やバックアップファイルの保存などに使用しています。

(2007/12/15)

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読んでいるパソコン雑誌

パソコン関係の知識はほとんど全てが雑誌や書籍から得たモノです。現在それに加えてネットでも得ています。僕にとって「誌は師」ですから今も下記の様な雑誌を毎月定期購読しています。

PC fan :月2回発売。98、Mac、DOS/V 全般の情報の入手に利用。創刊号より欠かさず購読中。丁度、パソコンの興味を持ち始めた頃に創刊され、 パソコンの知識ゼロの状態から現在に至るまで正に本誌は家庭教師です。

DOS/V POWER REPORT :月刊誌。自作機やマザーボード、CPU などのハード関係記事が主体でパソコンを拡張する上での関連知識の入手に利用しています。

日経パソコン :月2回発売。内容は基本的な事が多いのですが記事が分かりやすく読みやすい本です。

日経NETWORK :月刊誌。最新のネットワーク技術などの記事が大いに役立っています。現在、パソコンとインターネットは切っても切れない関係ですし LAN 構築の知識も必要です。ネットを安全に使うためにもこの雑誌を購読する事にしました。

特選街 :月刊誌。僕が興味がある様な特集をタイムリーに組んだり、その内容も分かりやすく知りたい事が過不足無く書いてあるのでお気に入りの雑誌です。

以前、読んでいた雑誌

日経ソフトウェア :月刊誌。文字どうりパソコンのハード関係の雑誌ではなくソフトウェア開発の情報誌。以前からソフトウェア開発の事には興味があったのですがあまりに敷居が高そうで二の足を踏んでいました。つまり、何も取っ掛かりがつかめなかった状態のところでこの雑誌が創刊される事を知り思わず飛びつきました。しかし、自分の中でネットワーク技術に重要性が増した為にその後「日経NETWORK」に切り替える事になりました。

DOS/V SPECIAL :月刊誌。DOS/V 機関連の情報誌ですが2006年9月29日発売号で休刊になりました。おもしろい記事が多くて結構気に入っていたんですけどね。

(2007/12/15)

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